元・文部科学事務次官の前川喜平氏が8月31日(木)に山口家住宅に来訪されました。前川氏には雨岳民権の会主催の「第9回・湘南社”民権講座”」(10月9日月曜日・祝日)にて講演をいただきますが、その準備を兼ねて住宅の見学をされました。この時の来訪記事が9月3日(日)の東京新聞の「本音のコラム」として前川氏が投稿されていますので合わせて紹介させていただきます。
▼9月3日の東京新聞の前川喜平氏の投稿コラムです。雨岳文庫が紹介されています。
元・文部科学事務次官の前川喜平氏が8月31日(木)に山口家住宅に来訪されました。前川氏には雨岳民権の会主催の「第9回・湘南社”民権講座”」(10月9日月曜日・祝日)にて講演をいただきますが、その準備を兼ねて住宅の見学をされました。この時の来訪記事が9月3日(日)の東京新聞の「本音のコラム」として前川氏が投稿されていますので合わせて紹介させていただきます。
▼9月3日の東京新聞の前川喜平氏の投稿コラムです。雨岳文庫が紹介されています。
少し前になりますが7月29日(土)に雨岳文庫山口家住宅にて「ゆかた撮影会」が行われました。親子2組と大人1名の方が参加されましたので紹介します。はじめに外庭の離れの旧喜三郎邸で着付師の岡石笑佳さんによる着付けが行われ、庭に出てシャボン玉などで遊ぶ微笑ましい親子写真や女性のポートレートをフォトユニット風花のフリーカメラマンおおばのりこさんが撮影されました。とても暑い日でしたが、木陰に入っていただいたので汗だくになることもなく、「この数年間はお祭りがなく、ゆかたを着る機会がなかったので、こんな趣のある場所で撮影してもらえて嬉しいです」と喜んでいただきました。
▼酷暑の夏を透過し、時間軸を戻したとしか思えない懐かしい記憶が蘇るシーンですね。
雨岳ガイドの会の恒例のウォークが近づきました。今回のウォークは9月16日(土)に「金目観音とその周辺」です。NHKドラマ「どうする家康」の家康が築かせた金目川の「大堤」、近郊の学校の開校の地、文化財の宝庫「金目観音」などを訪ねます。ご案内させていただくスタッフも訪ねる度に新たな発見があります。詳細は下記のチラシをご覧ください。
私達スタッフとともに楽しく歴史の再認識を楽しまれたら如何でしょうか。
皆様の参加をお待ちしています。
真夏の代官屋敷では恒例の林家たけ平師匠の落語独演会が8月26日(土)に開催され、テンポの良い噺と、武士の人情味ある噺や滑稽噺が演じられました。主催者からは「お客さんに聴いて頂くには、想像力を働かせ聴いて頂く様に、師匠の皆さんに投げかけており」、その高座は盛り上げ上手だと思います。とのコメントを頂いています。一般参加15人と友の会会員ほか16人の計31人が参加され、参加された方から写真が送られてきましたので幾つかを掲載させていただきます。
▼後方の立派な神棚、前方の折鶴も飾られている手作り風鈴も、共に場を盛り上げています。
昨日(9/19)から9/23(土)までの土・日曜日に、雨岳文庫山口家住宅・資料館で「この地から海を渡った明治の民権派青年たち」の展示が行われていますが、その中の一つのエピソードを紹介します。第一回官約移民として明治18年にハワイに渡った青年の話しです。山口家8代当主・山口左七郎と交流がありました。ハワイ大学の教授により75頁にも及ぶ劇画で紹介されています。
劇画の名称は『Hamakua Hero: A True Plantation Story』です。ここではその概要を紹介しますが、興味ある方は資料館にお運びいただき説明員からお話をお聞きください。
雨岳文庫山口家住宅・資料館では本日8/19(土)より雨岳民権の会による資料展が始まりました。9/23(土)が最終日となります。資料展のテーマは「この地から海を渡った明治の民権派青年たち」です。この展示では伊勢原市の小澤家住宅、堀江家住宅との関係や、博物・生物・民俗学者であり森の保全に努めた南方熊楠との関連も語られています。ハワイや米国本土で活躍したこの地の青雲の志をいだいた方々の足跡を辿られてはいかがでしょうか。
▼資料展の行われている雨岳文庫山口家住宅の門前に置かれた看板です。
代官所の設えを持つ山口家住宅には主屋の完成後に増築された「宮様の離れ」があります。陸軍の演習場に来臨された梨本宮・李王殿下・閑院宮ほかの宮様方をお迎えするための茶室風の離れです。この部屋の壁は柔らかい雰囲気を醸し出す「貼付け壁」になっています。しかし年月を経て痛みが激しくなっていましたので、宮大工の内田工務店と「貼付け壁」の技術を持つ守谷表具店の力により、この5月に修復が完了しましたので紹介します。「貼付け壁」は主屋の「書院の間」が2020年8月に、2021年6月に主屋2階の主室(「通称殿様のお部屋」)が修復され、今回の修復が3回目となります。
▼「貼付け壁」修復後の「ミヤサマノオヘヤ」(通称「宮様の離れ」)です。
床の間の壁の四隅は「四分一」と呼ばれる細い木で止められ締まった表情で、
土壁に比べて優雅な雰囲気を醸し出しています。
雨岳文庫山口家住宅は現在の地に別な場所から明治2年に曳家をされてきました。曳家時の屋根は瓦葺でしたが、100年前の大正12年の関東大震災の時にこの瓦が滑落してしまいました。このためトタン葺きとなりましたが当時のトタン板は輸入品で高価なものでした。塗料もコールタールという、コークスを製造する時に得られる副産物で高い防錆性、防蝕性を有するもので塗られていましたが、この5月に、大震災後の屋根と同じこの塗料で主屋の屋根が塗り替えられましたので紹介します。
▼屋根にコールタールを塗るために、先ずは塗装職人さんを支える親綱の取り付け
を宮大工さんが行いました。
雨岳ガイドの会では恒例の文化財ウォーク「池端から下糟屋」を6/17(土)に行いました。一般参加者28人、スタッフ13人、計41人のウォークでした。このウォークを担当したグループからの投稿を以下に紹介します。
▼ウォーク出発地の公園では、当会顧問による好評のミニ講座を行いました。今回は『何故!伊勢原の禅僧が蝦夷地に』を聞き、予備知識をもって出発しました。