「雨岳ガイドの会」カテゴリーアーカイブ

210419鯉のぼりと五月人形を飾りました。

 雨岳文庫・山口家主屋の総点検活動は、雨岳ガイドの会主催にて2年ぶりに、山口家に残る鯉のぼりと五月人形を飾りました。鯉のぼりは主屋のドマの天井一杯に元気に泳いでいますが時の流れには逆らえず残念ながら体の張りは無くなってしまいました。五月人形はオクの書院造りの部屋で輝いています。

 

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210419江戸、明治、大正時代の山口家の活動の証です。

 雨岳ガイドの会では毎月、山口家主屋の総点検活動と称し、住宅の整備清掃活動を続けています。4/19(月)の活動では整備された展示ケースの中に、江戸、明治、大正時代の歴代の山口家当主の活動の証となる下記のものを展示させていただきました。これらのものは現在までの総点検活動で発見されたものです。
 ◇ 江戸時代、山口家5代当主は柳生心眼流の免許皆伝の腕を持っていました。
 ◇ 明治時代 山口家7代当主は大山寺再建時には大山協会の会頭でした。
 ◇ 大正時代 江戸時代から続く市内安田弓具店製の貴重な「矢」がありました。
以下にこれら貴重な品々を写真にて紹介します。

 ◇ 柳生心眼流・皆伝書です。

江戸時代、山口家は旗本間部家の小姓を4代目から務めており、苗字帯刀を許されていましたが5代当主は剣術の腕を認められ、柳生但馬守宗矩の流れを汲む柳生心眼流の免許皆伝を許され、その後の地代官へと繋がっています。

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210417奈良時代からの海老名をウォークしました。

 雨岳ガイドの会の文化財ウォークでは4/17(土)に延喜式内社・有鹿神社、国史跡・相模国分寺、鎌倉御家人・海老名氏ゆかりの地、矢倉沢往還・国分寺を訪ねました。前夜の天気予報が悪く何人の方が参加されるのか心配でしたが16名もの方がウォークに加わってくださいました。悪天候のため欠席された方も事前にキャンセルのご連絡をいただき有難い限りです。当日はこの様な皆さまの熱意が伝わったのか曇りと小雨の中のウォークとなり、スタッフ11名と合わせ27名にてコロナ対策を行いながら楽しくウォークをさせて頂きました。

相模国13座の一つで奈良時代から存在し、水神様を起源とすると伝わる「有鹿神社」では、何とパンダ姿の宮司が私たちを迎えて下さいました。

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210329雨岳ガイドの会の研修ウォークの紹介です。

3/29に雨岳ガイドの会では、「ぼたもち阿弥陀」で有名な宗源寺の奥にあり、普段訪れることもない金比羅大権現を「ヒル」の歓迎を受けながらグループの研修ウォークとして訪ねました。金比羅大権現のお堂では上粕屋山口家の11代ご当主の山口匡一様の名前が記された墨書が奉納されておりました。また、この山の頂きには「日向石」の石切り場があり、ここも訪れ市内の道標などに多く使われている石の切り出しと石工の皆さんのかっての活動に想いを寄せました。

金比羅大権現の石碑の横の鳥居には大木が倒れこみ凹んでしまったようです。

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210325相模国分寺跡のウォークの下見を行いました。

 現在のコロナ感染状況下では緊急事態宣言の中止を手放しでは喜ばれませんが、雨岳ガイドの会の文化財ウォークを4月から再開することにしました。再会する文化財ウォークは4/17(土)に国史跡の相模国分寺跡とその周辺を歩く予定です。ウォーク地点を確認するために下見を行いましたので、その写真を幾つかご紹介させていただきます。また、本ウォークの詳細を添付ファイルしましたのでご確認いただき、私たちと共に天平文化の一端に触れてみてはいかがでしょうか。なお、緊急事態宣言が再発出された場合は本ウォークは中止となりますことを予めご了解ください。
    今回のウォークのチラシ

▲海老名市温故館の相模国分寺の復元模型です。

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210112 2月の文化財ウォーク延期のお知らせ

 2/20(土)に予定していました雨岳ガイドの会主催の文化財ウォーク「青山道(海老名~厚木)」は、コロナ感染拡大によるリスクを避けるため、4月に延期させていただきます。既に多くの方から参加申請を受けており残念ですが、この社会情勢下にてご了解願います。

<案内チラシ>
  1312①ちらし⑭ 

201219「金目観音とその周辺」を訪ねました。

12/19(土)は雨岳ガイドの会主催の文化財ウォーク「金目観音とその周辺」を訪ねました。寒い日でしたが参加いただいた35名の皆さまと会員11名が3班に分かれ、コロナ感染に配慮しながら史跡を巡りました。平塚市を代表する文化財の宝庫・金目観音、源頼朝の旗揚げ時の戦いの勇者・真田与一のゆかりの地、自由民権の志の高い方々によりこの地の教育を立ち上げられた原点を訪ねてみました。与一堂では源頼朝旗揚げの戦いで殉死された陶山様を先祖とされるご子孫から直接ご説明をいただく幸運にも恵まれました。

▲陶山様から頼朝旗揚げに若き与一と共に無念の最後を遂げたご先祖様のお話しを
 聴くことが出来ました。陶山様、有難うございました。

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201126 ウォーク「金目観音とその周辺」へのお誘い

11/26(木)は好天のもと、12/19(土)に予定している雨岳ガイドの会主催の文化財ウォーク「金目観音とその周辺」の下見を行いました。このウォークでは、平塚市を代表する文化財の宝庫・金目観音、源頼朝の旗揚げ時の戦いの勇者・真田与一のゆかりの地、この地域の教育の原点となる史跡、長きにわたり水の流れを制してきた御所堤などを巡ります。御所堤に制される金目川では、今でも5月の国府祭には三ノ宮神宮の神輿が禊をしています。コロナ対策を採りながら歴史の足跡を共に訪ねてみませんか。コース概要と申込は添付ファイルを参照ください。

コース概要と申込先   チラシ「金目観音」.pdf

▲樹齢600年の大欅は今も元気です。我々9名でやっと囲めます。

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201121 糟屋宿に宿る歴史を訪ねました。

11/21(土)は雨岳ガイドの会主催にて「池端から下糟屋」の文化財の道を歩きました。この地は平安時代の終わりには「糟屋の庄」と呼ばれ、京都伏見の安楽寿院の荘園でした。現在の平塚から伊勢原にかけての広範な荘園ですが、下糟屋は「糟屋荘政所」が置かれ、西相模全体の政務を統括したと言われています。鎌倉時代から室町時代前半には糟屋有季が、室町時代後半から戦国時代には太田道灌が活躍したと思われる「丸山城」が。また、江戸後期にはロシアからの圧力と北の大地の安寧を願い、生活環境の厳しい蝦夷地に向かった僧たちの苦難の歴史が刻まれている地でもあります。私たちは小春日和の中を37名の小学生を含む一般の方々と、会員12名の計49名で、コロナ対策を取りながら、この地の歴史に触れる文化財ウォークを楽しみました。一部ですがウォークの写真を掲載させていただきますのでご覧いただければ幸いです。

▲快晴の大山の麓には丸山城址西郭に立つ東海大学病院が。

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201023 文化財ウォーク「池端から下糟屋」の下見を行いました。

10/23(金)は雨模様の中を、11/21(土)予定の雨岳ガイドの会主催の文化財ウォーク「池端から下糟屋」の下見を行いました。この地域は重要な文化財が多く今回のウォークでは何をポイントに説明させていただくのか、現地にて確認させていただきました。この下見には何時ものことですが、当会の諏訪間顧問に同行いたき説明員となる私たちもより深い知識を得ることができました。末筆になりますが、本ウォークのコースの詳細や申込先を記したチラシを添付ファイルしましたのでご覧いただき、私たちと共にコロナ対策をとりながらウォークを楽しんでいただければ幸いです。



▲蝦夷地の国泰寺に住持を送った蔵福寺の本堂が新装なりました。

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