201121 糟屋宿に宿る歴史を訪ねました。

11/21(土)は雨岳ガイドの会主催にて「池端から下糟屋」の文化財の道を歩きました。この地は平安時代の終わりには「糟屋の庄」と呼ばれ、京都伏見の安楽寿院の荘園でした。現在の平塚から伊勢原にかけての広範な荘園ですが、下糟屋は「糟屋荘政所」が置かれ、西相模全体の政務を統括したと言われています。鎌倉時代から室町時代前半には糟屋有季が、室町時代後半から戦国時代には太田道灌が活躍したと思われる「丸山城」が。また、江戸後期にはロシアからの圧力と北の大地の安寧を願い、生活環境の厳しい蝦夷地に向かった僧たちの苦難の歴史が刻まれている地でもあります。私たちは小春日和の中を37名の小学生を含む一般の方々と、会員12名の計49名で、コロナ対策を取りながら、この地の歴史に触れる文化財ウォークを楽しみました。一部ですがウォークの写真を掲載させていただきますのでご覧いただければ幸いです。

▲快晴の大山の麓には丸山城址西郭に立つ東海大学病院が。

▲丸山城址公園では諏訪間顧問から城の構造と大きさ、城主についての講演が。

 

▲蔵福寺の墓所には蝦夷の国泰寺に赴いた和尚さんを弔う芙蓉塔と如意塔が。

 

▲普済寺の多宝塔の基礎には松前家諸士・諸人の寄進者700名余の名前が。

 
 
▲御嶽神社の庚申塔には高級な松花弁当との所以を語る記銘が。
 
 
◇12月19日(土)は「金目観音とその周辺」を歩きます。
コースの詳細は別途ご案内致しますので共に歩きたいですね。公益財団法人雨岳文庫 雨岳ガイドの会
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