年表

山口左七郎、山口家住宅の歴史を年表形式でご紹介します。

1834年(天保5年)推定

山口家住宅が建築された

1849年(嘉永2年)

山口差七郎は足柄上郡金子村間宮家に生まれる。幼名は仁三郎。

1850年代(嘉永3年代)

父・間宮若三郎らが協議し、環節堂(新一郎)を招聘。仁三郎、中村舜次郎、熊沢又造らが教育を受ける。

1860年(万延元年)

間部氏より「地代官所」にするよう指示される

1864年(元治元年)

地元民に「役所」と呼ぶよう通達される

1869年(明治2年)

石倉から七五三引へ曳家(930人が従事)

1871年(明治4年)

曳家後の新築工事完了

1871年(明治4年)8月

左七郎が養子となる

1872年(明治5年)

左七郎が家督を相続

1878年(明治11年)

左七郎が郡長に就任

1881年(明治14年)

民権結社「湘南社」を結成し、左七郎が社長に就任する

1886年(明治19年)

左七郎が県会議員に選出される

1890年(明治23年)

左七郎が第1回衆議院議員に選出される

1892年(明治25年)

大住郡善波山共同牧農場として農業株式会社が設立

1897〜1906頃(明治30年代)

三郡共立学校(現・秦野高校)、農学校(現・平塚農業高校)が設立

1910年(明治43年)

盲人学校(現・平塚盲学校)が設立

1998年(平成10年)

主屋と離れが国の登録有形文化財に登録される

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